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三浦春馬|村木勲はサインを一緒に考えた恩師!父親のような存在だった

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三浦春馬さんの月命日が過ぎ、まだまだ悲しみが強く残り、どうして?という思いの方も多いはずです。

8月20日放送のせかほしでは、三浦春馬さんのサインのエピソードを聞くことが出来ました。父親のような存在だった方だそうです。

今回は、「三浦春馬|村木勲はサインを一緒に考えた恩師!父親のような存在だった」と題してお話します。

三浦春馬のサインを一緒に考えた村木勲さんとは?

murakiisao三浦春馬さんを子役の頃から親身になって世話をしてくれていた村木勲さん。

調べてみましたが、村木勲さんの詳しいwikiなどはわかりませんでした。

しかし、俳優兼講師として、三浦春馬さんの先生のような存在だったようです。

俳優としての出演作は、『はぐれ刑事純情派』でセリフはないが、山手中央署の刑事課内のデスクに座っている役であったり、『西村京太郎トラベルミステリー』で活躍していた俳優さんです。

三浦春馬さんは子役の頃、児童劇団『つくばアクターズスタジオ』に通っていました。

その時に出会い、三浦春馬さんのお世話をしてくれた方が村木勲さんだったようです。

村木勲さんは、ほかの子供たちからもとても信頼が厚く、慕われていたようです。

三浦春馬の子役時代を支えていた村木勲さん

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三浦春馬さんは、茨城県土浦市出身で、4歳から児童劇団「つくばアクターズスタジオ」に通っていました。

1997年、7歳の時にNHK連続テレビ小説「あぐり」で芸能界デビューしています。

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2002年12歳の時に映画「森の学校」で初主演。

映画「森の学校」は、昭和初期の丹波篠山(兵庫県篠山市)を舞台に、三浦さん演じるやんちゃなガキ大将が命の尊さや家族の絆の大切さを知り、成長していく姿を描いた作品です。

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この作品では、村木勲さんとも共演されています。

天才的な子役がいると紹介したのは村木勲さん?

「森の学校」の監督を務めた京都在住の西垣吉春氏(73)は、こう話しています。

彼の出身地の土浦(茨城県)に知り合いがおりまして、『天才的な子役がいる』と以前から聞いていました。紹介を受けて実際に会ってみると、本当に魅力的な子でした。

そのときから春馬君は素晴らしいものを持っていて、特に感性が豊かだった。こちらが言ったことを2倍、3倍に深く理解して、演技で答えてくれる役者でした。

接していてもピュアで繊細で、あんな子はもういないんじゃないかというくらい素晴らしかった。  

撮影のずっと前から私は『春馬くんを主役に』と決めていて、他の子役はオーディションで決めました。春馬くんは坊主頭の役だったのですが、彼は髪を剃るのがとても嫌だったらしくて、悩んでしまいましてね。私が『坊主にならんとキャスティングしないから。他の子を探すから』ってわざと突き放したら、撮影に入る直前の1、2週間前に『やります!』って言ってくれて、ホッとしたのを覚えています。

撮影の合間に坊主になってきて、それからは吹っ切れたようでした。本当に爽やかな子でしたよ。それだけに心から残念です」

村木勲さんは、「森の学校」にも出演していることから、もしかして、この紹介をしていた人が村木勲さんだったのかもしれませんね。

三浦春馬さんは、その頃の村木勲さんとの思い出をこう話しています。

小学校に入って間もなくの頃から、撮影のある時は実家の茨城からバスに乗って一人で都内まで通っていたのですが、東京駅に着くといつも村木さんが待っていて「春馬!」と声をかけてくれるんです。京都みたいに遠くへ行くときも、都内で撮影の時も必ず、同行してくれました。撮影の待ち時間にプロレスごっこの相手をしてくれたり。

父親のように頼もしかったです。15歳の時に今の事務所へ移った時も、村木さんは後押ししてくれました。仕事的に迷いを感じてる時だったのですが、「俺たちのことは気にせず、新しいところで頑張ったほうがお前のためになる」と言ってくれたんです。

 

村木勲さんは、本当に三浦春馬を可愛がり、評価をしていたのでしょうね。

村木勲さんと一緒に考えたサインを大切にしていた

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8月20日放送のNHK「世界はほしいものであふれてる」の中では、三浦春馬さんは、自分のサインに関するエピソードを話していました。

もう他界してしまったのですが、父親のように、現場にいつも寄り添ってくれたお付きの方がいて、今の自分のサインは、その方と一緒につくったサインなのですね。なので、形を変えずに使い続けていきたいと強く思ったのを覚えています」

そして、紙とペンが用意されると、「なんか番組でサイン書くって、初めてだから、すごく気恥ずかしいね」と笑みを浮かてサインを披露したのでした。

自身のサインを大切にされているのが、わかり、ジーンとくる場面でしたね。

村木勲さんとの永遠の別れ

村木勲さんとは、15歳頃までお世話になっていたようです。

忙しさと遠慮もあって、なかなか取れずにいた連絡・・

そんな2012年のあるとき、村木さんのご家族から急に連絡が来たそうです。

「実は今、村木は入院していて先は長くないのですが、生きているうちはあなたに教えないでくれと本人から言われています。だけど、私たち家族にいつもあなたのことを話しているから、本当はあなたに会いたいんだろうなって、、怒られるのを承知であなたに連絡をしました。」

病院へ駆けつけると、村木さんも「どうして春馬がここにいるんだ」って言いたげな驚いた表情をしていました。後から聞いたら、その頃は、話をするのもやっとだったらしいのですが、僕が行った時は偶然にも意識がはっきりしていて、言葉を交わすこともできました。

村木さんは、か細い声で「絶対に焦っちゃだめだそ」と言ってくれたのですが、その言葉を今もことあるごとに思い出します。

やせ細った村木さんを前にしたら、今まで連絡してこなかったことを後悔して子供みたいに泣いてしまって。やっぱり僕は村木さんの前ではいつまでたっても子供のようなんです。その時期、地球ゴージャスの舞台「海盗セブン」という舞台が控えていて、村木さんは稽古が終わるころに亡くなりました。最後に僕の舞台を見てほしかったのですが、その願いはかないませんでした・・」

毎年お盆の時期に来ると、村木さんの生まれ故郷の東北へ両親と一緒にお墓参りに行くんです。きっとその先も続いて行く行事だと思います。

俳優としての基盤を作ってくれた人ですし、村木さんがいてくれたおかげで僕は俳優という仕事の楽しさを知り、今もこうやって続けていけてるんだと思います。

 

三浦春馬さんは、いつも人を愛していたようです。

彼と親交のあった同年代の俳優は、こう語っています。

 「彼はよく知人のことを、『兄のように思っている』とか『弟のような存在』と表現していました。僕も同じような境遇だったからなんとなくわかるのですが、一人っ子で、親御さんも仕事で忙しかったそうですから、小さいころは寂しい思いもしたのではないでしょうか。だからとりわけ人のぬくもりを求めていたのではないかと……。 一生懸命に人の悩みも聞いていましたが、いっぽうで自分の弱みはあまり見せないところがありました。人の気持ちばかり抱え込んでしまって、つらくなってしまうこともあったかもしれません」

三浦春馬さんは、仕事も忙しくなり、2018年の取材の時には

今は本当に正直に生きています。僕は思ったことをわりと抱え込んでしまうタイプだけど、何も溜め込むことなく、すごく健全に、いい仕事、いい生活ができている。これから先も溜め込まなくていい仕事、溜め込まなくていい人生を送れるような仲間やパートナーと一緒にいられたらいいなと思います」

「自分でハードルを上げているような気がしますね、最近生きていて(笑)。いろいろな方にそうやっていい言葉をいただくと本当に思う。何でしょうね……見栄っ張りではないと思うんですけど。別に知ったかぶりでもないし、知ったかぶりはやめたし。だけどそういったきれいな言葉を抱えてしまうと、本当に駄目な部分や悪い部分を見せたくないと思ってしまうんです。それがよくないんですよね。それが人間だともちろん思うし、ちゃんとガス抜きしていかないとなって。折に触れてお酒を飲んで、弾けて(笑)」

こんな風に話していました。

自己分析もしっかりできて、自分のだめな部分もわかり、ガス抜きもしなくてはいけないとわかっていたはずなのに、、

村木勲さんが父親代わりにそばにいたら、何か違っていたのでしょうか‥